大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和49年(あ)1563号 判決 1975年8月06日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人佐伯千仭、同井戸田侃、同毛利与一連名の上告趣意第一点は、本件は憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項に違反するにもかかわらず、原判決が被告人らに対して免訴の言渡をしなかつたのは憲法三七条に違反するというのである。

そこで、本件の審理経過を記録によつてみると、被告人中須は高砂市の市長、その余の各被告人はいずれも同市に勤務する公務員であるが、共謀のうえ、姫路市曾根町立場地内の浜国道の地下に設置してある上水道送水管を損壊したとして水道損壊の罪により昭和三三年九月一七日起訴されたこと、第一審の神戸地方裁判所姫路支部は、昭和三六年四月五日、被告人らの行為を水道壅塞の罪にあたるとして有罪の判決を言い渡したところ、被告人全員から控訴が申し立てられたこと、本件は当初大阪高等裁判所第三刑事部に係属したが、昭和三九年六月一日同裁判所第六刑事部に配填替えになり、同部は、控訴趣意書提出後約四年後の昭和四〇年一一月二六日に第一回公判期日を開き、昭和四一年六月一八日、被告人らの行為を水道壅塞の罪にあたるとした第一審判決には法令の解釈適用を誤つた違法があるとして破棄したうえ、さらに被告人らの刑事責任について審理を尽くす必要があるとして神戸地方裁判所姫路支部へ差し戻したところ、被告人全員から上告が申し立てられたこと、上告審の当裁判所第三小法廷は、昭和四二年四月二五日、被告人らの上告趣意は適法な上告理由にあたらないとして上告を棄却したこと、第二次第一審の神戸地方裁判所姫路支部は、昭和四四年七月八日、被告人らの行為を水道損壊の罪にあたるとして有罪判決を言い渡したところ、被告人全員から控訴が申し立てられたこと、第二次控訴審の大阪高等裁判所第五刑事部は、控訴趣意書提出後三年七箇月後の昭和四八年六月二六日第一回公判期日を開き、昭和四九年六月一二日控訴を棄却したこと、以上の各事実が認められるのである。

そもそも具体的刑事事件における審理の遅延が右の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間のみによつて一律に判断されるべきではなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならないのであつて、事件の複雑なために、結果として審理に長年月を要した場合などはこれに該当しないものであることは、すでに当裁判所の判例(昭和四五年(あ)第一七〇〇号同四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁参照)の示すところである。

もとより、訴訟遅延の責めは窮極的には裁判所が負うべきものでこれを当事者に転嫁することは許されないところであるとはいえ、当事者主義を基調とする訴訟構造のもとでは、両当事者の積極的な協力がなくては迅速な審理を望みえないこともまた疑うべくもないのである。したがつて、本件におけるように被告人が第一審判決を不服として控訴を申し立てた場合に、審理が遅延していると考えるならば、被告人側としても漫然と権利の上に眠ることなく、裁判所に対しその迅速な処理を促すこともできるのであり、審理促進に対する当事者の態度もまた前述の諸般の情況に加味することはあながち不当ではないと解されるし、一方、裁判所が当時置かれていた審理の促進を阻害するような現実的な特殊情況も、これを全く無視することができず、形式的に審理に要した期間の長短だけをとらえて論議することは妥当でないと考えられる。

このような見地にたつて本件をみると、本件は起訴後第二次控訴審の判決まで約一六年を要しているけれども、前述のとおり、第一次上告審を経て、あらためて第二次の第一審からの審理が繰り返されたものであり、右の審理経過及び本件が多くの論点を含んでいることに徴すれば、第一次控訴審及び第二次控訴審における控訴趣意書提出後第一回公判期日までの四年及び三年七箇月を除いた年月は、審理に必要な期間としてやむをえないものと認めることができるが、右の四年及び三年七箇月の審理中断についてはなお検討を要するものがある。控訴審は、その訴訟手続構造上、控訴趣意書が提出されてから、記録の精査、第一審判決の瑕疵の有無についての検討、審理計画の樹立等をまつてはじめて公判期日の指定が可能であり、これに要する期間は当然審理に必要な期間として考慮されなければならないとはいえ、前記の如く控訴趣意書提出後第一回公判期日までに要した四年及び三年七箇月の期間は、本件事案の内容等に照らし、通常の状態における審理に必要な期間として是認することは、いささか困難といわざるをえない。しかしながら、本件については、第一次、第二次控訴審ともその配填をうけた裁判所の構成の変更がきわめて頻繁であり、第一次控訴審において、控訴趣意書提出後第一回公判期日までに同一裁判官三名の構成によつて部を構成することができた期間は、昭和三七年四月一〇日以降昭和三八年七月二五日までの一年三箇月が最長で、そのほかはいずれも一年未満にすぎないうえに、控訴趣意書提出後本件が大阪高等裁判所第三刑事部から第六刑事部に配填替えになつた昭和三九年六月一日までの間における同高等裁判所の一部当り月間新受件数は二九件ないし五八件、その平均は四一件に及び、今日とは比較にならないほどの負担過重であつたことが認められ、本件とともに第三刑事部から第六刑事部へ配填替えになつた事件の中には、本件以上に第一回公判期日の指定が遅れていた事件が多数あつたことがうかがえるのである。また本件が第二次控訴審に係属していた当時の事情もこれと大同小異であつて、控訴趣意書の提出された昭和四四年一一月五日から第一回公判の開かれた昭和四八年六月二六日までの間の大阪高等裁判所における一部あたりの月間新受件数は、平均二四件までに減少したとはいえ、本件が同高等裁判所第五刑事部に係属してからの三年の間、同一裁判官三名の構成によつて部を構成することができた期間はいずれも九箇月未満で、昭和四七年一〇月二七日以降は、比較的に部の構成が安定したとはいえ、その構成員に変更がなかつたのは、その後の一年一箇月が最長であつて、しかも本件よりさきに第五刑事部に係属しながら本件以上に長期化していた事件が相当数あり、その処理に忙殺されていたために、本件の審理を開始することが容易ではなかつたことがうかがわれるのである。そして、なお、このような状況下にある裁判所としては、いきおい身柄拘束事件の審理を先行させるのもまたやむをえなかつたものといわなければならない。

本件において、右にみたような裁判所側の事情によつて審理が遅延した結果、被告人らを長期間不安定な状態に置いたことはまことに遺憾といわざるをえないのであるが、本件は、第一次・第二次控訴審とも被告人の控訴によるものであるのに、被告人側が審理促進を求める積極的な態度を示したことをうかがうに足る証跡がないこと、本件の二回にわたる中断が事実取調のほとんど終了した控訴審段階において生じたもので、被告人の防禦権の行使に特に障害を生じたものとも認められないこと等を総合勘案すれば、当裁判所が前記昭和四七年一二月二〇日大法廷判決において示したほどに異常な事態に立ち至つたといえないことは右判例の趣旨に照らして明らかであり、裁判所全体としてはさらに審理の促進に工夫をこらすべきものがあるとはいえ、本件の場合は、前記諸般の事情に照らし、この段階においてその審理を打ち切ることは適当とはいえず、結局、所論違憲の主張は理由がないことに帰する。

同第二点は、第一次控訴審において、検察官は第二次第一審裁判所が有罪と認定した事実を内容とする訴因追加の意思はない旨釈明したのであるから、被告人らに対し右事実について有罪とすることはできないのにかかわらず、原判決が第二次第一審裁判所の有罪判決を是認したのは憲法三一条に違反するというのであるが、所論は、ひつきよう第一次控訴審の判断の誤りをいうものにすぎず、原判決に対する論難ではないから、適法な上告理由にあたらない。

同第三点は、原判決の維持する第二次第一審判決は、憲法三九条の趣旨を誤解し、許すべからざる訴因変更をした違法があるというのであるが、第二次第一審裁判所が審判の対象とした被告人らの行為は、いまだ無罪とされたものでも、また刑事上の責任を問われたものでもないのであるから、違憲の所論は前提を欠き、その余の所論は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

同第四点は、本件において第二次第一審裁判所がなんら事実の取調をすることなく新たな事実を認定したのは、所論引用の各判例に照らして許されないところであるから、第二次第一審判決を是認した原判決は、右各判例に違反し、かつ、憲法三一条、三七条に違反するというのであるが、引用の各判例はいずれも本件とは事案を異にし適切でなく、違憲をいう所論は、実質において、単なる法令違反の主張にすぎないから、いずれも適法な上告理由にあたらない。

同第五点は単なる法令違反の主張であり、同第六点は単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四〇八条により、主文のとおり判決する。

この判決は、上告趣意第一点について、裁判官岸盛一の補足意見、裁判官下田武三、同団藤重光の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官岸盛一の上告趣意第一点についての補足意見は、次のとおりである。

私は、多数意見のいうとおり、本件の審理を現段階において打ち切るべきではないとする点に賛成であるが、さらに次の点を加えたいと思う。

裁判の遅延は、すでに紀元前から今日に至るまで、古今東西を通じて慢性化した現象であつて、古くて新しい問題だといわれている。この問題はひとりわが国だけのものではないのであるが、憲法上迅速な裁判の保障条項が掲げられているのは、いうまでもなく、迅速な裁判の実現は、ただに、罰すべきを罰し無辜を罰せずという刑政の本義に基づく国家的要請であるばかりでなく、被告人を長く不安定な状態においてはならぬという被告人の人権擁護の見地から要請されるものなのでもある。

ところで、裁判遅延の原因は、法や制度自体にあるよりも、両当事者を含めて、訴訟の主体として法の運用に携わる者の責めによることが多いこともあるのである。既に十数年前アメリカンバーアソシエーシヨンが会長の声明として「われわれは共に心を引きしめて前進し、現代の一大偉業として、万人のための確実迅速な裁判が現代史に記録されるように努力しなければならない」という意見を公表したことがあるが、この問題は、まさに、法曹全体の一致協力なくしては解決困難なものと思われる。わが国の裁判所の負担が他国にあまり例をみないほど過重なものであることは別として、裁判所としては、司法行政上も遅延防止の対策をつねに講じていなければならず、裁判官をはじめ関係職員の増員による人手不足の解消、裁判所の諸設備の充実等に力を尽くすべきことは論を俟たないところであるが、また、訴訟手続の運用面における創意工夫を凝らすことの必要であることはいうまでもない。

しかしながら、多数意見もいうとおり、裁判遅延の責めは、窮極的には裁判所がこれを負うべきである。したがつて、将来、本件のような特殊事情が裁判所内部にあつたとしても、これに類する事例が跡をたたないようなことであれば、裁判上も特別の考慮を払わなければならない場合のあることを留保しておきたいと考えるし、また、この際、「訴訟の遅延は正義にあらず」とか「裁判の遅延は裁判の拒否にひとしい」という裁判の遅延についての聞きなれた非難や警句をあらためて噛み締めてみることが肝要であると考える。

裁判官下田武三の上告趣意第一点についての反対意見は、次のとおりである。

わたくしは、わが国の裁判は、その内容及び手続きの公正さにおいて、他のいかなる国の裁判に比しても、優るとも劣るところがないものと信ずるものであるが、ただ裁判の迅速確保の点において、時として他の先進国のそれに一籌を輸する憾みのあることは、否定しえないところと考えるものである。本件は、正にその典型的な事例であつて、被告人に対する公訴の提起以来第二次控訴審の判決までに約一六年を要しているのみならず、その間第一次控訴審及び第二次控訴審において、それぞれ四年及び三年七月の長期にわたる審理中断の期間を生じているのである。本件記録に徴し、かつ、職権による当審の調査によれば、このような長年月にわたる審理中断期間の発生は、裁判所の過重負担、部の構成の頻繁な変更、庁舎の狭隘その他施設の不備等主として司法行政上の原因に基づくものと推認され、必ずしも当該部ないし所属裁判官の責に帰しえない事情も存するのである。しかしながら、たとえこれらの事情が当時裁判所にとりいかに己むをえないものであつたとしても、同時に、右の訴訟遅延については、なんら被告人側の責に帰せられるべき事由の存しなかつたことも、また記録上明白とせざるをえないのである。

当裁判所は、すでに憲法三七条一項の解釈として、同条項の保障する「迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的な人権の一つであり、右条項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上及び司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、これに対処すべき具体的規定がなくても、もはや当該被告人に対する手続の続行を許さず、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるべきことをも認めている趣旨の規定であると解する。」との見解を明らかにしているのであつて(昭和四五年(あ)第一七〇〇号同四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁)、わたくしは、多数意見が、前記のとおり、被告人側の責に帰することのできず、もつぱら裁判所側の事情に基づくものと認めるほかない長年月にわたる審理の中断にもかかわらず、本件については、いまだ右大法廷判決にいう「迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態」が生じたとするに足らないとされる点において、とうていこれに同調することができないのである。

したがつて、わたくしは、弁護人の上告趣意第一点に掲げる違憲(憲法三七条一項)の論旨は理由があると考えるものである。

裁判官団藤重光の上告趣意第一点についての反対意見は、次のとおりである。

刑事被告人の迅速な裁判を受ける権利は、いうまでもなく憲法が基本的人権として保障するところである(憲法三七条一項)。本件の審理経過をみると、第一次控訴審においては控訴趣意書が提出されてから第一回公判期日が開かれるまで約四年間、第二次控訴審においては控訴趣意書が提出されてから第一回公判期日が開かれるまでの約三年七箇月のあいだ、まつたく審理が行われないまま放置されたのであり、しかも、記録上、その遅延につき被告人側の責に帰せられるべきなんらの事由もみとめられなのいである。起訴(昭和三三年九月一七日)から現在にいたるまでの長年月もさることながら、右のように、第一次控訴審において四年、第二次控訴審において三年七箇月という時日が空費されたことは、裁判所の過重負担その他諸般の事情を考慮に入れ、ても、なおかつ、迅速な裁判という憲法の要請に反するものといわなければならない。事件を担当する部が変更になつたり、部の構成の異動が頻繁であつたり、あるいは裁判所庁舎の設備が狭隘であつたというような事情があつたにせよ、これは、被告人に対する関係では充分ないいわけにはならないであろう。裁判所の人員や予算の不足は、裁判所の力だけで解決のできることがらではないが、そのしわよせが被告人の基本的人権に及んではならないはずである。本件は事案としてとくに複雑なものではないのであつて、他の諸事情を考慮に入れても、控訴趣意書の提出から第一回公判期日までのあいだに、これほどの長時日を費やさなければならなかつたとは、とうてい考えられない。ことに第二次控訴審では、いつたん上告審で論点があきらかにされたのであり、審理計画は比較的容易にたてられたのではないかと想像される。本件においては、被告人側において審理の引延ばしをはかつた形跡はまつたくみられないのであつて、この点も充分に考慮に入れられなければならない。被告人側で積極的に審理を促進した形跡もないが、無罪判決が確実に予測されるような事案でもないかぎり、被告人側に積極的な審理促進を期待することは無理であり、これを理由として、迅速な裁判を受ける権利の保障を拒否するとなれば(昭和四八年(あ)第二二五三号・昭和四九年五月三一日第二小法廷判決)、それは、憲法がこの権利を保障している趣旨を没却することになるであろう。

公訴時効期間に相当する期間以上の長期間にわたつて審理が行われないまま放置された事案については、すでに当裁判所大法廷の判例(昭和四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁)があり、免訴の判決をもつて手続を打ち切るべきことがみとめられている。わたくしは、この大法廷判決は、画期的なものとはいえ、迅速な裁判の問題については、ようやく出発点にたどりついたにすぎないものと考えるのであり(団藤・「刑事裁判と人権」公法研究三五巻一二五頁参照)、百尺竿頭さらに一歩を進めるべきものとおもう。これについては、司法行政上の対策や立法措置が急務であることはいうまでもないが、刑事訴訟法の解釈論としても、わたくしは、本件の審理経過にみられるような事実関係のもとでは、公訴の提起が後発的に無効になつたものとして、刑訴法三三八条四号によつて公訴棄却の判決を言い渡すべきものと考える。

(団藤重光 藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)

弁護人佐伯千仭、同井戸田侃、同毛利与一の上告趣意

第一点 原判決は、憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項に違反し、免訴の言渡をなすべきであるにもかかわらず被告人らに対して有罪の判決をなした違法がある。

一、貴裁判所はかつていわゆる高田事件について次のごとく判示せられた。曰く、「当裁判所は、憲法三七条一項の保障する迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的な人権の一つであり、右条項は、常に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上および司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、これに対処すべき具体的規定がなくても、もはや当該被告人に対する手続の続行を許さず、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるべきことをも認めている趣旨の規定であると解する。刑事事件について審理が著しく遅延するときは、被告人としては長期間罪責の有無未定のまま放置されることにより、ひとり有形無形の社会的不利益を受けるばかりでなく、当該手続においても、被告人または証人の記憶の減退・喪失、関係人の死亡、証拠物の滅失などをきたし、ために被告人の防禦権の行使に種々の障害を生ずることをまぬがれず、ひいては、刑事司法の理念である、事案の真相を明らかにし、罪なき者を罰せず罪ある者を逸せず、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現するという目的を達することができないことともなるのである。上記憲法の迅速な裁判の保障条項は、かかる弊害発生の防止をその趣旨とするものにほかならない。」「そもそも、具体的刑事事件における審理の遅延が右の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間のみによつて一律に判断されるべきではなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむことをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならない……。」(昭和四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁)。

右の判決は、学界においてもきわめて高く評価せられ、既に確立した判例と目せられていることは周知のところである。

二、ところで本件については、まず、最初に、かりに訴因通りの事実が認められたとしても、それは七年で公訴時効が完了する罪であることを指摘しておく必要がある。

(一) 扨て、本件は、そもそも昭和三二年三月七日から八月にかけて発生したとされる事件であるが、当事、早速警察でも調べてみたが、犯罪の嫌疑なく単なる事故として片づけられたものである。それが、約一年半経つた昭和三三年八月になつて、あらためて逮捕され、同年九月一七日神戸地方裁判所姫路支部に起訴せられたものである。

(二) 当初起訴せられた訴因は、「上水道送水管に穴を開けてこれを破壊した」という水道損壊の事実であつた。しかるに、第一審公判の最終段階である昭和三六年三月八日になつて検察官によつて「制水弁を廻して前記大塩町に対する送水を遮断し……水道を壅塞したものである」という水道壅塞の訴因が新たに予備的に追加せられることになつた。事件後、すでに四年、起訴からも二年半経過した後のことである。

(三) かくして同年四月五日、第一審判決があり、本位訴因は無罪、予備的訴因について有罪が言渡された。これに対して、被告人のみが控訴を申し立て、同年(昭和三六年)一一月一一日の提出期日までに控訴趣意書を提出したが、控訴審たる大阪高等裁判所における審理は不当に遅延した。ようやく昭和四一年六月一八日控訴審の判決がなされたが、その間四年半の歳月を経ているのにわずか三回の公判期日が開かれているのみ――但し証人一人が取調べられている――である。しかも、その判決は、弁護人の主張を容れて原判決を破棄したものであるが、右のように事実調べを行つたのであるから自判もできるはずであるのに、あえて自判を避け、――後述のように不当な訴因変更を示唆したうえ――事件を再び神戸地方裁判所姫路支部へ差戻したのである。この時点では、事件後、すでに九年以上の歳月が経過していたのである。

(四) これに対して被告人らは、その訴因変更の示唆その他の不当を主張して上告を申し立てる等のことがあつたが、結局、差戻をうけた神戸地方裁判所姫路支部では、昭和四二年一〇月二七日の公判期日において、立会検察官より右の差戻し控訴判決が示唆した通りの訴因変更の申請が行われた。それはさきの差戻前の第一審における予備的訴因(制水弁を廻して大塩町に対する送水を遮断し、給水を不能ならしめたとき)より遙か後の、夜が明けてから行われた修理工事の時点まで訴因を拡張して、「右破壊した送水管をさらに大きく掘り起して撤去し、これを新しい送水管を取り替える作業をゆつくりと時間をかけて行ない、よつて、同日午前一一時ごろまでの間、前記大塩町に対する送水を不能ならしめもつて公衆の飲料に供する浄水の水道を損壊した」という訴因に改めるというのであつた。

このような訴因の大変更、大拡張を事件後すでに一〇年半を経過した後に行い、それに対して被告人らに新たに防禦方法を講ぜよというのである。しかし、事件後一〇年余も経つたあとで、そのようにあらたに拡大・変更された訴因に対して、被告人らにどのような防禦方法が残されているのであろうか。一〇年余の歳月は現場をすつかり変化させてしまつているし、関係者も離散或いは死亡し、残つている者の記憶も忘却の波が洗い去つてしまつている。捜査権、強制力をもたぬ被告人らと弁護人にとつて、右のように従来全然問題とならなかつた新しい訴因をつきつけられても、有効な防禦方法が利用できないことは明瞭であろう。否、被告人や弁護人だけではない。後述のように、差戻後の第一審において昭和四四年五月九日の第九回公判までつづけられた審理において、自ら――差戻判決の指示に従つて――新たに訴因の変更を申立てた検察官でさえ、その新訴因について何一つ新たな証拠を提出しなかつたのである。検察官の証拠収集能力をもつしてさえ、新たな証拠は何ひとつ出せなかつたのである。このように本件の訴因が三転し、一〇年以上も経つてからまた新たな訴因に変更せられたのは、すべて検察官の不手際の結果であつて、それによる不利益を被告人が黙つて負担しなければならぬいわれはないはずである。

(五) 本件差戻後の第一審判決は、昭和四四年七月八日に言渡された。直ちに被告人は控訴し、同年一一月五日に弁護人の控訴趣意書を提出したのであるが、この度もまた控訴裁判所の怠慢によつて公判手続は大はばにおくれ、ようやく昭和四八年六月二六日に第一回公判期日が開かれる始末であつた。一回の公判手続も開かれずに、四年間がさらに空費せられたのである。

(六) このような時の経過によつて、現場はさらに変化しあとを止めなくなり、証拠物もいよいよ滅失し、被告人側に有利な証拠、とくに証人、被告人自身の記憶はさらにあいまい不確実の度を加えていつたのである。差戻後の控訴審において、弁護人らは、本件の含む法律の争点について弁論するとともに苦心して新らしい証拠、証人の探索を行い、最後にやつと本件現場が山陽電鉄の踏切りと接していて電車の振動により水道管の故障が頻発した箇所であること(このことは被告人らが捜査中から訴えてきたところである)について適格に証言しうると思われる証人を発見することができた。そこで控訴裁判所に右証人の取調べを申請したが、にべもなく却下され、現に見るがごとき判決が下されたのである。

結局、被告人らはその利益のために控訴を申し立て、その控訴が容れられたにも拘らず、第一次控訴審による差戻し判決により昭和四一年三月から今日(昭和四九年九月)まで実に八年余の間、右のように訴因を変更、拡大されただけで何の新しい証拠調べもなしに有罪とせられ、刑事被告人として法廷に立たされ続けてきたのである。第一次控訴判決に対して弁護人らは検察官の訴因変更の申立もないのに新訴因を認定したのと同じことになるという理由で上告を申し立てたのに対し、貴裁判所は、それは新訴因を認めたのでなく単に「差戻を相当とする所以を傍論的に説示したにとどまる」として上告を斥けられたが(昭和四二年四月二五日決定)、差戻後の一審における事実の経過は正しく弁護人の上告趣意が主張した通りの経過を辿つているのである。違う点といえば、差戻した控訴判決は「更に事実を究明して」裁判せよといつているにも拘らず、差戻後の裁判所はいずれも新たな何らの証拠をも顕出せず、差戻前に存した証拠のみによつて、被告人らを有罪としているという点のみである。

(七) 事件後一七年半、起訴後でもすでに一六年を経過し、公判の度毎に被告人らは、姫路、あるいは大阪まで法廷に出廷している、被告人らのなかには、被告人としての地位にたえかねて公務員を辞し、自家営業を初めたものもいるが、いずれも刑事被告人として誠に肩身の狭い日月を送つて来たのである。とくに被告人中須義男については、昭和二九年初代高砂市長に選ばれ、三三年市長に再選されたが、本件起訴によりわずか三ケ月で辞任し、三七年再び再選されて以来、こんにちまで連続して選挙で当選の栄を得えている。つねに選挙人による選挙の洗礼をうけてきたわけである。その被告人が公判のたびに法廷に出頭し、裁判のたびに新聞に書き立てられ、長期裁判のもたらす精神的、肉体的、経済的被害たるや実にはかりがたいものがあるといわねばならない。しかもこの長期裁判は前記のごとく何ら被告人らの責任ではないのである。

三、以上のような次第であつて、右御庁判例の趣旨にしたがい、原判決は憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項に違反せるものとしてこれを破棄し、免訴の判決がなされるべきである。<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例